ニコライ ジョゼフィン共に自覚すること能はず
我が家ではニコライは貴族であるが、ジョゼフィンは平民である。
何を持って貴族なのか。
それは、過去の歴史を紐解くと何のことはない。
始祖が「おらぁ、貴族だべ。文句のある奴ぁかかってきやがれ!!」
と、言ったもん勝ちで、後に続く末裔がその精神を脈々と受け継ぎ人から分捕った領土を徹底的に守り抜いた奴が後世貴族の特権を有することができるのである。
因みに貴族には学歴は必要ない。
貴族なので自分の領地の小作人、臣民からの「あがり」(上品に言えば税金)で食っていけるので学歴を身に付け、給料取りとなり、所属する会社の中もしくは、官庁の中で日々齷齪(「あくせく」と、読みます)競争し、出世せずとも優雅に豊かに暮らすことができるのである。
必要なのは領地を守る武力と、臣民を食わせていく才覚のみ。
(今の世の中では貴族と極道紙一重である)

一方、平民とは何か。
ある組織に従属しなければ食っていけない身分のものを指す。
平民には自分の才覚以外に脈々と受け継ぐ先祖からの莫大な財産がないので世の中の荒波を渡っていく教養、学問、学歴、社会的地位等を自ら取得する必要がある。
(自分の才覚で食っていくしかないから仕方がないのだが)
稀に才能に恵まれ一代で財を成す者もいる。
しかし、上品、金持ちぶったところで所詮は平民。貴族にはなれないのである。

しかし、ニコライは寸劇の中以外は自分が貴族という概念がない。
もちろん、ジョゼフィンも寸劇の中以外は自分が平民という概念もない。
当然である。ネコ社会にはそんな概念は存在しないのだ。
実力あるのみである。
かく言う侍従も立派な平民である。
日々会社員として組織に従属し業務に追われる毎日である。
せめて愚民にならないように日々精進が必要であるのだが最近とみに愚民化しつつある。
とほほ。
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