侍従 またも考えてもしようがないことブーたれる
(いや、無理に聞いて頂かなくとも今回は可である)
今日は、終戦記念日である。
侍従の父方の祖父は徴兵後、ビルマに行って生きて還ってくること叶わず。
祖父を亡くした父家族の苦労は並大抵ではなかったらしい。
(まぁ、その当時はどこでもそうだったのだろうが)
侍従の父と給仕係の母もB29の空襲の恐怖は未だに忘れられないらしい。
今は亡き給仕係の祖父殿は、運よく沖縄の激戦地から生還できたがまさに地獄絵というものを身をもって経験した方である。
これまた今は亡き侍従の母とその兄弟、およびこれも今は亡き祖父母は、畑仕事の時に米軍艦載機の機銃掃射にあった。
その恐怖は未だに忘れることができなかったらしい。
農耕馬なのに軍馬として徴用された「鬼塚君」「赤塚君」も満州に行って返されることはなかった。
ついでに今は亡き給仕係の父上も子供のころ札幌の陸軍航空練習場(現札幌丘珠空港)の建設で徴集された過去を持つ。
勝てばまだ、心の救いにもなっただろうが、戦死者の殆どは米軍の圧倒的な高性能兵器と物量の前に大した抵抗もできず犬死である。
あまりにも哀れすぎる。
戦争は嫌、戦争は悲惨、当たり前である。今のこの世の中、誰が好んで異民族を殺したがるものか。そんなことはわかっておるわ。
マスコミがそんなことを年に一度繰り返し言ったところで後世の奴らは「あぁ、そうなのか」で終わりである。
大事なことは、
「何でそういうことになったのか」
「どうしたら回避できたのか」
「どうしたら繰り返さずに済むのか」
「今後それをどのように生かして生き目を抜く国際間の駆け引きと対立をうまく回避し、国益を確保できるのか」
ここに尽きる。
学校での歴史の授業で教える「この年は何がありました」「この時代は〇〇文化が栄えました」
これは、歴史の勉強ではないのである。単なる記憶学の学習である。
前述したことを真剣に学ばせなければこの国はまた、同じことを繰り返すことになる。
(とにかく、人が右ぃって言ったらみぃーんな右に流れちゃう国民性だからねぇ)
なんかの小説で言ってたっけ。
戦争は本当にやってはいけない。
なぜか。
勝ったほうも負けたほうも大勢の人間が死ぬからである。
まぁ、この国の与党政府、野党政党もそんな事態なったら能力なくてすぐ戦争突入か、指咥えて異民族の圧政に苦しむのが関の山である。
(最終的には選挙で選んだ国民の責任なんだけどね)
全く我らの世代は戦争の苦しさ、辛さ、悲惨さを知らなくて本当に幸せである。
ニコ:のう、平民。さっきから侍従は何を意味のわからんことをぶつぶつ口籠っておるのじゃ?
ジョセ:さぁね。あたちにはチンプンカンプンなのよ。

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