侍従 身の程をわきまえず
さして面白くない話をする。
読んでもらっても楽しい話ではないのでスルーしてもらっても可である。
今から65年前の今日、東京で一晩に10万人が空襲で一方的に焼き殺された日である。
その日から遡る約一か月前、ドイツのドレスデンでは15万人が空襲で殺されたと言われている。
抵抗する術を持たない一般市民への一方的な虐殺である。
我が国の半島および大陸で蛮行をはたらいたこともそうではあるが、この空襲も立派な戦争犯罪である。
挙句の果てには原子爆弾まで投下されて実験材料にされた両市民にはかける言葉さえみつからない。
だが、戦勝すれば全ては正統な行為として歴史上正しいことをしたと記録されるのである。
特に人種間戦争は悲惨を極める。
姿かたちが異なるばかりに憎しみが増すにつれ、お互いを人間扱いしなくなるのである。
(当時、向こうではこちらのことをお猿呼ばわりし、こちらは向こうのことを鬼畜呼ばわりしていたのがいい例である)
「戦争は悪」
その通り。
だが、それだけでは戦争は絶対になくなりはしないのである。
なぜ悪なのか、どうして人を殺さなければならない状態となってしまうのか。
それを回避するためにはどうしたらいいのか。
それを考慮実践した上で豊かな生活を送れるようにするため、親は身を粉にして子供にはできる限り最高の教育を与えようと奮闘するのである。
決して教育とはいい会社に入るためとか、公務員になって安定した生活を送るためとかを目的にして行うものではないのである。
教育とは本来、子供に明確な志を持たせた上で実践させるのが本来の姿なのである。
教育はその子供の運命と未来を自力で切り開くための最高手段なのだ。
本来の目的を履き違えて教育を与えると大学を出たはいいが職を見つけられない若者が増えるというのが現在この国の状態である。
教育の真の目的を見失った末路がこの国の歪んだ社会となったいい例である。
明確な目的があって教育を受けていないと就職説明会で路頭に迷うことになるのだ。
そんな問題は政治家と官僚が考えればいいと思っていいる各位もいるであろう。
だが、悲しいかな議院内閣制をとっているこの国ではいい加減な奴を当選させると後々ツケが回ってくる。
これは、侍従がジョゼフィンにモフモフで払うツケとは比較にならない大きなツケである。
今、我らが宰相麻生君がバッシングされているが実はこの責任は麻生君にある訳ではない。
その麻生君を選出した議員を選挙で当選させた我々にある。
そこを履き違えてはならないのである。
ニコ :プーでヒモの生活を堪能しているそちが何を偉そうなことを言っておるのじゃ。
そろそろ働かぬか!このたわけ!!

侍従 :も、申し訳ございませぬ、陛下。
さてと、そろそろ外で働き出すか(^^;
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