今思えば十数年前、自分たちで間取りの線引きをし、強度計算も行い、螺旋階段も給仕係の会社の同僚のお父さん(鉄工所屋さん)に作ってもらい、あまりに奇抜な間取りのため発注先の建設会社に呆れられ、たまたま空いていた土地があったのだが泥炭地であるが故、地質調査にも金をかけ、土台の下に直径40㎝πの鉄筋コンクリートパイル(杭)36本を地盤に届くまで(約15m)打込んで建っているのが何を隠そう、このニコライ宮殿である。
(食器洗い用のスポンジに爪楊枝を数本刺してその上に家を乗っけたと想像してもらえばイメージがつかめよう)
そうして建てないと家が傾くか、家自体が地盤沈下を起こすという憂いを見る羽目になる。
ニコライブルク(札幌市)の北東部は泥炭地である。
まぁ、言ってしまえばシベリアとか、スコットランドと同じ土壌なのである。
泥炭地とは太古の昔、あまりの寒さに草や木が土に分解せず、堆積した土壌である。
極端ではあるが藁が十数メートル堆積していると思ってもらえばよろしい。
そうして建てた侍従と給仕係のお家。
とても思い入れが深いのである。
そんなこんなで建ててからもう12年が経過した。
ニコ :これ!!朕の宮殿じゃ!!

侍従 :おっとぉ、ニコライ宮殿でしたな。
軟弱地盤であるが故にニコライ宮廷公用車両をとめる場所と来賓客車両をとめる場所は約1メートル掘り下げ、そこに砕石を盛り込んでいる。
そうでもしておかなければ車重に負けてそのうちでこぼこになるのだ。
只、ニコライ宮殿から車で1、2分の大侍従が住む広大な農地一帯は明治初めの入植当初、先代たちの(それこそ、文字通りの)血の滲むような苦労と努力の結果、客土(泥炭を掘り下げ土壌を入れ替える)をしているがためにそこまでひどくはない。
侍従も百姓である祖母からは子供のころより侍従が今住んでいるところを含め人間が生活する土地ではないと聞かされ続けて育ってきたものである。
給仕係のブログでも紹介していたが、この地にニコライブルク(札幌市)が住宅地として造成したということはよっぽど人が住む場所がなくなってきたかと妙に納得したものだ。
言ってしまえば、ニコライブルク(札幌市)の土木科の役人達が計画し、綺麗に小手先の住宅造成工事なぞしたところで手に負える土地ではないのである。
ここ十数年の間、ニコライ宮殿の回りも建売住宅が増え、それに伴い老若の移住者が増加した。
この地の建売住宅。
見栄えこそ奇麗であるが各住宅メーカー、コストを下げるためにパイルは細いわ(家の重みを支え切れないって)、打込む本数も少ないわ(傾くって)、駐車スペースの砕石も十数センチしか盛らないわ(轍になるって)で極めてテキトーである。
そこへ入居する人々。
購入する家がどのような状態で建てているか知らないで住宅メーカーの営業の言葉一つを信じて購入するのである。
この地の状態を入植当時の昔から伝え聞きいていないため、泥炭地という物がどういうものかもわかっていない。
上辺だけ綺麗にドレスアップしても基礎からしっかりお金をかけて建築し、常日頃から手入れを行わなければ庭も駐車スペースも雑草だらけとなり家も数年でボコボコになる。
この土地は、価格こそはニコライブルク(札幌市)の中では坪単価は安価なほうであるが、住み続けるために敷地のまわりをほどほどに維持しようとすればとても金のかかる土地なのである。
とどのつまり、家を買って若しくは家を建てる場合、その土地が昔どういう状態で、どういう経緯で造成されたのか等をしっかり調べた上で決めないと後々、後悔することになりなねない。
ちょっと昔のことだが、ニコライブルク市内南部で住宅造成地の家を買ったが土地が陥没して家が崩壊したという話があった。
(調査の結果、昔、沢だったところを単に埋め立てして造成した土地であった)
綺麗だから、素敵だからと言う理由だけで安易に決めるとえらいことになるのだ。
庭付き一戸建て建売住宅はオリジナルで設計し建築するよりも遥かに安価である。
だが、安価といえどもリスクと金額的には人生を左右する大変高額な買い物である。
北海道の歴史はまだまだ浅い。
そんなこの地の新興造成住宅地にはよぉ~く調べた上で納得して家を建てないと大変な落とし穴がたくさんあるのだ。
ニコ :これ侍従!!
朕の宮殿は安泰であろうの!!

侍従 :陛下の宮殿は、庭園並びに車両基地等々、侍従が常日頃より整備をして
おりますゆえ、安泰にございます。。
ニコ :おぉ、そうか。
ならば完璧じゃな。

侍従 :お言葉ですが、陛下。
偉そうなことを言ったところで所詮は人間のやること。
完壁である訳がございませぬ。
全ては戯言でございます。
ニコ :な、何ぅ?!

道端の空き缶一つ、また道路の隅にに雑草は生えているだけでその土地の評価額は十センチ単位十数円地価が下落するという。
ましてや平気でゴミを道端に捨てると言う住民がいるだけで街並みのイメージは変わってしまう。
理由はともあれ自分達が住む街並みは常日頃住民たちの意識のもとで綺麗にしておいて越したことはないのである。
ポチっとされたし