侍従 アレクセイに冬の遊びの思い出を語る
だが、そんな厳しい冬でしか楽しめない遊びというのも確かに存在する。
実際のところ、この話は事実である。
アレク:にょう、爺。
わしに冬にょ面白いあしょびを教えて欲しいにょじゃ。

侍従 :皇太子殿下、「爺」はないでしょう「爺」は。
臣は未だそのような齢ではございませぬ。
「侍従」とお呼びくださいまし。
アレク:いいから早よう、はにゃして欲しいにょじゃ!!

侍従 :はいはい。
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今から十数年前、帝都での4年間の抑留生活からようやく解放(部署転換)されニコライブルクに帰国(転勤)したころの侍従は、冬になると従兄弟達(4人)と自前の車でレースをやっていた。
しかも冬の時だけの限定レースである。
何故冬の時だけかと言うと、レースを公道でやると危険であるし何よりも道路交通法違反でとっ捕まるは必至だからである。
ではなぜ捕まらなかったか。
理由は簡単。
雪が積もりに積もったここでやっていたからである。
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何と言ってもここは自前の畑。
天下無敵の私有地である。
過失で人に怪我をさせたり、人の命さえ奪わなければ道路交通法も適用されず誰も文句を言う奴はいない。
(強いて文句を言うとすれば孫達のことを心配する愛するばぁちゃんだけである)
早速コース作りから始まる。
従弟Aが祖母の家から除雪車(ブル)を借りて大まかな道幅程度に雪をかき分けおおそよそ1500mほどのコースを作る。
コースの形は事前に棒を立てた目印通りに除雪する。
除雪している間に従兄と従弟Bが大型トラクターにお湯を給水し、頃合いを見計らったところで現場到着。
予め除雪しているコースに給水したお湯(気温が氷点下なので既に水になっている)を散布する。
これを凍っては散布、凍っては散布して大体日をおいて4回程度実施すると暑さ30センチくらいの氷が張る。
(日が昇るころが気温が急激に下がるのでこの時刻を目処に作業を実施する)
通常のスケートリンクとしえ使える状態になる。
あとは2、3日ほったかしておいて適当に雪が積もった程度でコース出来上がりである。
あの時は面白かった。
コースを作るまでの準備は長いがみんなが集まることのできる土曜日にたった1日間だけの遊びである。
そこはもうスピード出し放題である。
こういうレースではブレーキとクラッチ操作と即座のシフトチェンジがものを言う。
走行条件は皆自前のノーマル車である。
改造車は厳禁。
(とはいっても皆スポーツタイプの車であったが)
ノーマル車で如何に上手に速く車を転がせるかが勝負なのである。
当然スパイクタイヤである。
それでもカーブは100㎞/hで突っ込むと車は当然流れる。
技量が伴わず雪壁に突っ込むとコースの外はただの雪なので車が雪に抜かって脱出不可能となる。
当時、携帯電話なぞ無い時代である。
どこで止まっているかなぞゴール地点ではわからないからそう言う時は車に備え付けの発煙筒を焚き救助を待つ。
タイムを競うレースなので当然コースを走るのは1台ずつである。
結局最後の最後まで従兄にだけは勝つことが出来なかった。
(奴ぁ速かった)
しかも馬力、性能ともに侍従の車の方が良かったのに。
走り飽きたら4人徒歩でそのコースを2周(約3㎞歩くの)する。
なぜか。
雪が解ければそこは畑。
オイル、車の破片なぞ落ちていようものなら春の畑耕しの時にエライことになるからである。
(と、言うより畑の持ち主の伯父に大目玉を食らう)
そのような遊びも年が経つにつれ皆所帯を持つとできなくなっちゃった。
(まぁ、当然っちゃ当然だよな)
我が一族だけに伝わる従兄弟だけの冬の楽しみがそこにあったのだった。
あの頃は皆若かったぁ(遠い目)。
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侍従 :と、言う遊びでございます。
とっても楽しゅうございました。
アレク:その遊びはわしには楽しくにゃいぞ、爺。
わしには車の運転出来にゅではないか!!

侍従 :あっ!あぁ、左様にございましたな皇太子殿下。
はっはははは。
(でもね、殿下。陛下にだってお嬢様も女神様も運転できませぬよ)
注:
一応誤解のないように言っておくがその当時の我々は族ではない。
(当然今でもである)
至って普通の公道では安全運転をする市井人である。
従兄と侍従は普通の給料取り。
従弟達はその土地を所有する一家の百姓である。
ポチっとされたし
