侍従 好きなものとやりたいことを語る
興味のない各位は読んでもらっても面白くもなんともないのでスルーされるように。
侍従はどちらかと言うと普通の船よりは軍用艦、普通の飛行機よりは軍用機、普通の車よりは戦闘車両が好きである。
(侍従は、中年になっても永遠の男の子なのだ)
で、この中からさらに絞り込むと軍用機好きである。
更にこれからまた絞ると戦闘機が好きである。
侍従は中でも緑色の飛行機とあのジェット戦闘機が好きである。
やっぱ緑色の海軍機で一番好きなのはこの1機。

三菱零式艦上戦闘機52丙型
(Wikipediaより)
日本人の英知の結晶がこの飛行機である。
(設計主務者、堀越二郎はやっぱり天才だったのである)
侍従の飛行機好きの原点がこの飛行機であると言っても過言ではない。
米国が圧倒的開発力と物量で押しまくってくるまでは搭乗員の技量と共に世界最強の戦闘機であったのだ。
んで、緑色の陸軍機で一番好きなのがこれ。

川崎五式戦闘機
(Wikipediaより)
大戦末期、疲弊した日本で唯一まともに当時世界最高水準と言われた米国のP51マスタングとやりあえた戦闘機である。
(設計主務者の土井武雄の機転と緻密さには脱帽である)
で、ジェット戦闘機であればやっぱりこの1機。

マクダネルダグラスF-4EJファントムⅡ
(侍従が高校生の頃、千歳の航空祭の時に撮影)
今となっては笑い話であるが当時冷戦真っただ中である。
旧ソ連が冬でも凍結しない海を求めて北海道に本当に攻めてくると皆真剣に考えていた頃である。
当時最前線の千歳基地、小松基地からこの戦闘機がよくスクランブルで飛んで行った。
千歳基地から40㎞ほど離れたニコライブルクでもアフターバーナー全開のファントムの爆音が頻繁に鳴り響いていたものである。
子供のころよりシベリア抑留から帰りや樺太帰り、満州帰りの百姓の爺さんたちに囲まれて育った侍従。
ソ連に占領されると地主階級の一族郎党は皆、土地を接収されシベリアに送られると子供の頃からすり込まれた侍従。
(侍従のよく使うフレーズ「シベリア送り」はここに端を発している)
当時この戦闘機を採用するに当たり他国の爆撃能力があるうんぬんで紛争したようであるが侍従にとってみればこの戦闘機は救世主なのである。
(全く大げさである(笑))
ニコ :うむ、これじゃ!!
侍従!
この戦闘機を100機単位で購入じゃ!!
これで2重王国も恐るるに足りず!!

侍従 :嗚呼、陛下。
もうこれらの戦闘機は既に退役しております。
それにファントムは中古でミサイル付きでもも1機35億円。
維持費と購入費でいったいいくらかかるとお思いですか!!
モフモフに換算するとそのような財源どこにありましょうや。
重ねて申さば100人も操縦士など雇えませぬ!!
おバカも休み休み申されませ!!
(全く、月々の宮廷の住宅ローンでさえ払うのがアップアップなのに)
ニコ :ぬ、ぬぅ....。

ジョゼ:いくらなんでもそんな金額、あたしでも貸せないなのよっ。

当然である。
でもね、お金云々は別として南方で朽ち果てている大戦機を持ち帰ってリストアして飛ばせるようにしたい。
いくら時間がかかってもいいから。
それが侍従の究極の夢なのだ。
ポチっとされたし
