侍従 また久方ぶりの愚痴を吐く
ま、ちょっと重いことを書くがいつもながら勝手なことを無責任に書きつらってウサを晴らすだけの話なので読んでいても何もためにならないことは予め明言しておく。
さてと。
昨日の暴風雪から打って変わり午後になってから穏やかな天気のハウプトニコライブルクである。
本日は大侍従こと我が父の3ヶ月に一回の前立腺癌のホルモン治療と半年に一回のその定期検査の日である。
大侍従は、侍従が高校の頃に脳梗塞をやり、それからと言うもの足が不住である。
家の中ではなんとかつたえ歩きができるので不住はないが、外出では専ら車いすで移動する。
だが、冬は雪が地面を覆うので車いすは非常に使いづらい。
なので玄関から車まで(7mくらい)は侍従が大侍従を丸太を運ぶように肩に担いで移動する。
(訪問看護士から見ればとんでもない話だが、その方が手を添えて一緒に歩くより安全でてっとり早いのだ)
しかし、親っちゅう者はいくつになっても身体が不住になっても何にしても偉そうなことを言うものだ。
そんな侍従は大侍従に向かって
「いつも口ばっかりは達者だな、死んだ婆さんそっくりだな、おい!!」
と言って笑っている。
大侍従も
「死んだ婆さんの子だからな!!」
と切り返しながら車の中ですったもんだである。
(因みにこの死んだ婆さんと言うのはいつも話に出てくる母方の祖母ではない。内地の父方の祖母のことである)
検査の結果は幸いにも悪化もせず良好に向かっている。
(やっぱ憎まれ子はそう簡単には逝かないのだろう(笑))
何のかんの言ってこの通院のために1日が丸々潰れてしまう。
(ま、しゃーないな、子は親を選べんし、高校まで上げてくれた恩もあるしな)
最近侍従は思うのであるが、子供の幸せを親が願うと言うのは、最高の教育を与え、何不住なく生活を送り、必要のない苦労をさせないことではない。
親は、自分の子供の幸せを願うのであれば自分の寿命がくるまで可能な限り健康を維持することこそが子供の幸せに繋がるのではないか。
きれい事を言ったところで親の介護が必要となった時点で子供の人生は多かれ少なかれガラリと変わる。
なので親は子供の人生の足を引っ張らないためにも可能な限り矍鑠としていなければならない。
全てはこれに尽きる。
(ま、これは理想なんだけどね)
ただ、次男坊である大侍従はその立場の身勝手さで親の介護の苦労を知らないと言うのはこれまた皮肉な話ではある。
まぁ、侍従には子がいないので自分と同じような面倒を子にさせないで済むのは幸いなのかもしれない。
いや、どうなんだろ。
こればかりは人それぞれである。
アレク:爺...。

いや、アレ君。
今回は何も言ってくれるな。
あ~毒吐いてすっきりした。
明日もまた頑張れる^-^。
ポチっとされたし

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