侍従 交渉を成功させ帰国する(3日目境界線交渉編)
第一次世界大戦後、勝利した連合国側は敗戦国オスマン・トルコ帝国が支配していた中東ならびにその周辺地域に対し植民地領有権を主張する。
中でも英仏の領土分割交渉は机上に白地図を置いて両国の駆け引きの後、実際定規にペンで線を引いて決定されることとなる。
これが現在中東ならびにアフリカ大陸の国境線が直線である理由である。
(実際この模様は記録として現在まで映像に残っている)
ここでようやく本来この地に訪れ、当初の目的を実現するための交渉が行われる。
会談の場所は早朝の羽田国際空港内のとあるビュッフェ。
(荷物を空港に預けたのでね)
Tara:やはりここは均等に中間ラインで線を引いてはどうか。

侍従:あ、いやしばし待たれよ、Tara殿。

侍従:この場所には可愛い我が姪っ子甥っ子がいる地域である。

侍従:できればこのラインから西側で引いてもらいたい。

Tara:そうなると港湾施設を我方が一切確保できない。
2重王国としてはハマの港湾施設権益確保は長年の悲願である。

Tara:この起点の位置確保は我が方にとっては死活問題である。
決して譲ることはできない条件である。

侍従:ではこの地点から南北に向かって中間線で結んではどうか。
さすればお互い港湾施設は確保できよう。

Tara:ではこの地点からでよろしいか、侍従殿。

侍従:その起点開始を是とする。
では当方の起点をここへ。

Tara:侍従殿の姪っ子甥っ子達の地域はどうお考えか。

侍従:冷戦下のベルリンの例に倣うのがよかろう。
この方式で東西に分断してはどうか。
Tara:ここを中間分岐点として策定してよろしいか?侍従殿。

侍従:そこが落とし所であろう。
Tara:大方まとまったようなので境界線を確定する。

Tara:では早速このように線を。

侍従:更にここを起点に線を。

かくしてここに「日出ニコライブルク帝国」と「命・てん2重連合王国」間で正式に軍事境界ラインが確定し、締結された歴史的瞬間である。

これが後世に伝えられる悪名高い「ハマのニコ・てん領土分割条約」である。
無事条約締結で穏やかな雰囲気のもと早速朝食を楽しむ侍従とTarassaco嬢。

侍従はこの後、夕方の便にて一路北のニコライブルクに帰国する。
その前にまだ時間があるのでTarassaco嬢と新宿初台にある東京オペラシティーギャラリーに行く。


「難波田史男の15年展」を鑑賞するためである。

非常に抽象的な画を勝手にギャーギャーと解釈してくっちゃべって鑑賞する侍従。
だがTarassaco嬢は違う。
流石は絵画芸術の学問を大学でしっかり修めただけあって絵画の観賞が学の無いド素人の侍従とは大違いである。
彼女はやっぱり豊かな才能の持ち主なのだ。
展覧会観賞後、新宿駅までぶらりと歩く侍従とTarassaco嬢。
(これじゃまるでデートじゃねぇか(笑))

新宿駅でのんびり食事をしていると、Tam様と羽田空港で待ち合わせの集合時間に遅れそうになり慌てて一路羽田空港に向かう。
(結局は待ち合わせの時間に遅れたんだけどね^^;)
何とかTam様と再開できた侍従とTarassaco嬢。
Tam様からお土産にと崎陽軒のシウマイを渡される侍従。
(ほんとにありがとうTam様)
最後に2国間境界線交渉の結果をTam様に一方的に通告し、決定結果をご覧頂く。
それを見て怒りに震えるTam様(笑)。
而してその結果!!

断固、徹底抗戦のご様子である(そら当然だよな)。
定刻の時間が来たのでお二人に見送られてゲートをくぐる侍従。
しかし悪いことはできないものだ。
ゲートをくぐった瞬間、飛行機が1時間も遅れてしまうという始末である。

仕方がないのでANA SIGNETで寛いでいるとメールが。

おのれ!!
Tam様!!
今度来るときはハマを火の海にしてやるぞ!!
ってか、ニコライブルクに足を踏み入れた瞬間にシベリア送りにしてやる!!
何のかんの言って飛行機に乗り無事ニコライブルクに帰国した侍従。
気温はハマよりも10℃も低い氷点下6℃。
(やっぱ冬はこのくらいの気温が一番過ごしやすいわ)

これから車を運転し、皆が待つニコライ宮殿に戻らなければ。
これが積年の念願だった侍従とTarassaco嬢の会談の全容である。
長々と書いてしまったが、最後まで見て頂き本当に感謝である。
Tarassaco嬢はもう一日お休みがあるので元気猫様のご自宅に向かったのであるがこれはまた別のお話しである。
(その模様はこちらでどうぞ)
だが各位、まだ安心してはいけない。
列強と呼ばれる者達は「散歩組」「窓際組」も虎視眈々と狙っているのである。
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