ニコライブルクの物語
侍従 また吠える

5月に入ってブログの更新が滞ってしまったのには訳がある。
あっちブログでは侍従が悪者にされているが、もとを質せば給仕係が職場から持ち帰った風邪菌が感染したためである。
ま、いいや、そんなことはどーでも。
今日は憲法記念日の日。
この際だから思っていることを言っちゃうよ。
(苦手な方は今日はスル―してね)
各放送局では改憲の話題で討論番組がめじろ押しではある。
とりわけ憲法第9条においてはとりわけ各党の代表が白熱したおしゃべりが繰り広げられている。
その中でも護憲派と呼ばれる政党はほぼ宗教集団化しているきらいも無きにしも非ず。
でも思うのだ。
その時代時代に応じて憲法は変えていかなければならないのではないか?
(でなければ今頃植民地化されて江戸幕府のままであるはずだ^▽^)
よく、憲法9条を修正するとまた徴兵制復活だの侵略して軍国に走るだの言っている政党の議員がいるが、国の政体が国民主権である限りそのようなことにはならない。
本気でそのようなことを思い口走っている議員は、はっきり言って国民をバカにしすぎているとしか思えない。
風評被害等々、そう言うこともあるかもしれないが先の大戦で多大な犠牲を伴ってきたこの国はそれほど再度軍拡に突き進むほど愚かではないのだ。
自分が言わなければ、そのようになると思っている議員は思い上がりもはなはだしいと侍従は思うである。
憲法は、条文の文面そのものを守ることが目的ではない。
理想を掲げつつも現実的に国民の富と安全と幸福を保障するためその法に則って行使できることが本来の姿である。
現情勢でそれがそぐわなくなり国民の安全が脅かされるのがわかっていながら現行憲法を守ると言うことは憲法のために国民に犠牲になれと言っているようなものである。
憲法はコーランでもなければ聖書でもないのであるから現状に沿ってより良く変更していかなければならないものなのだ。
隣に強盗(北朝鮮、共産中国、露)が住んでいるのに戸締りをせずに愛する家族が殺されて略奪されるのを黙って見ているバカはいない。
有事になって法が整備されていないため、法のために国民が虐殺されて良い道理は無い。
その時になってからうおさおしても遅いのだ。
国家の憲法と言うものは(特に国家安全保障に関しては)、自国以外は善人であるという前提に基づき制定しては決してならないのである。
ニコ :侍従、また吠えておるのう。

あったりまえじゃ!!
うちの先祖が血の滲む思いで入植して開墾した玉ねぎ畑をそう簡単に共産化されてたまるかい!!
ポチっとされたし

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