侍従 あれから3年が経ち思う
(読むの辛い人はスル―してね)
侍従が生まれた3月と言う月は、侍従や日本人にとっては辛い出来事ばかりの月である。
4日後の30年前は、侍従にとってちょっとだけ人生に絶望した日。
(ま、今は食うに困らないので大したことじゃない)
69年前の昨日は、一晩で10万人が一方的に焼き殺された日。
(勝てば官軍、無抵抗の市民を焼夷弾で焼き殺しても全く罪には問われない)
そして3年前の今日は、あの震災で大勢の人達がとんでもない恐怖の中で命を落とした日である。
戦災と違い、天災というものは、生き残った者達にとって恨む相手がいない。
被災され、犠牲となった方々を持つ遺族の方々の心情は、なんのかんの思いやりの言葉や綺麗事を言ったところで日々無事に暮らしていけている我々には想像もつかないほど辛い思いなのであろう。
そんな中、3年が経過してもなかなか復興が進まない。
復興現場で頑張っている方々には、無条件で称賛して然るべきだが、ここまで進まないのはこの国の官僚を持ってしても国家行政の限界なのか。
それとも、各省庁の官僚たちに指示する立場の立法機関である国会議員達の無能さなのか。
(多分どちらかに重みを置くとすれば後者だ)
ここまで苦労している被災者達をいつまで経っても救済できない国家最高機関や国家行政を鑑みるに自分達が被災した時のことを考えると国は多分何もできない(いや、しないんだろうな)と覚悟を決め、然るべき時の備え可能な限り万全に準備する必要がある。
そりゃそうだ。
不本意であろうがなんであろうが命ある限りはその場その場の状況に関わらず命運が尽きるまで生き続けなければならないからである。
ニコ :帝国内の臣民達よ、黙祷じゃ。

次に備えられたし。

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