ニコライブルクの物語
ジョゼフィン お役所仕事許すまじ
ジョゼ:ちょいと、侍従のおじにゃん!!
あたし語検定第1級の合格証書発送は、どうなってるなのよ!!

侍従 :おぉわぁ!!
あ、いや、早速本日合格者各位に発送致します。
ジョゼ:全くもう、お役所仕事にも困ったもんだわなのよ...。

遅れて大変申し訳ありませんが、本日合格証書を発送致しました。
何卒お納めくださいますよう。
重ねて第2回ジョゼフィン語検定第1級試験にご参加頂いた各位には御礼申し上げます。
ポチっとされたし

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また能書きを垂れてみる。
(読んでもつまんないよ)
↓
8月はこの国の歴史上最も重い出来事が思い出される月である。
寝不足の頭で今朝テレビを見ていたのだが、今日は広島に原子爆弾が投下された日である。
(9日には長崎、この日も忘れちゃいけない)
兎にも角にもまずは犠牲となった方々には黙祷した侍従。
原子爆弾投下を決定したトルーマンには怒りを覚えつつも、犠牲や被害に遭った方々には本当に申し訳ないが投下されなければ津軽海峡より北側のこの地が確実に共産化していたであろうことを考えると恐怖を感じるとともに複雑な思いを抱かざるを得なくもない。
その前に、戦略を持たず米英にまで宣戦布告をした帝国陸海軍上層部に根本的な問題があったのか等々言いだすときりがないのだが。
今日NHKのあさイチを見てその特集「戦争ってなに? パート2」を見ていたのだが、今の親は子供に戦争についてどう教えていいかわからないのだと言う。
侍従から言わせれば、根本的になぜ戦争が始まってしまうのかということを理解していないためであるのと同時に大都市圏に若者が集中して核家族化し、年寄りのそう言った体験談を聞かずに育った者達が親になっているからでもある。
全てはこれに尽きる。
なぜ戦争が起きるのか、戦争をしないためには一体どうするべきなのか、最悪の結果戦争となってしまった場合にはこの国はどのように行動すべきなのか。
ここまで掘り下げてやらなければ戦争は悲惨だのなんだと騒いだところで根本的にこれからの世の中この国に住む将来のある者達がどう生き延びていくかと言う教訓とはならないのではなかろうか。
(戦争で亡くなった人達も浮かばれまい)
残念ながら、この件を話すと今の教育の現場が日教組の売国奴達に牛耳られている以上、深く学ぶことは不可能であろう。
重ねてここまで重い話しになると万人受けしないのでテレビも毎年通り一辺倒の戦災の写真と従軍した方々や戦災に遭った方々の体験談だけで「嗚呼、戦争は悲惨だね」ってことで作り手側の自己満足の番組で終わってしまうのである。
戦場では敵に情けをかけた方が殺されるとか、鉄砲の弾が人に当たったら本当はどうなるかとか、銃剣で人を刺したらよほどの急所に刺さらない限りはそう簡単に人間なんて死ぬもんじゃないから反撃を喰らうとか、潜水艦が撃沈されると水圧の変化で浮かんだ人間は、みな目ん玉が眼窩から飛び出して浮いてくるとか、上官の命令は絶対だとか等々、覚悟を持って話してくれた年寄りたる大伯父達に囲まれて子供の頃からそんな話を聞いて育つと侍従のように精神構造が歪な人間になってしまうのも大きな問題ではある。
だが、彼らに
「なんでそんなことになったのだ?」
と、幼少のころに聞いた侍従の質問に対し納得がいく答えを返してくれる者は誰ひとりとしていなかったのは記憶している。
(きっと爺ちゃんの兄弟達、その時代に生きることだけで必死だったんだね)
このネタに関して言えば侍従がなぜここまで執着するのかは、文献をあさっても何をどう調べてもその当時「なぜ」と言うことが明確に自分の中で消化されていないからなのかもしれない。
戦争は人の人生を一変させる。
あの戦争さえなければ祖父は戦死することもなければ父親に戦死された侍従の父も終戦後、幼少の妹達を食わせるために15歳で家を出されることも無く、もう少しまともな人生を送れたはずだし、父と一緒にならずに済んだ母ももう少し楽な生活ができたはずである。
ん?
そうしたら俺達兄弟は生まれてこなかったか。
まぁ、それはそれで良かったのかもしれないが(少なくとも弟のことを考えると)。
嗚呼、やっぱり話の最後は支離滅裂になってきた。
いや、単なる愚痴だってば^^;。
戦争で人生を狂わせた人々を目の当たりに育った世代としては、ご尤もなお話です。
ただね、「タラレバ」を繰り返したらキリがありませんけれども。
ですが、少なくとも「生れなくてよかった命」は存在しないと、私は思いたいですわよ。
あぁ、はいはい、愚痴ですね。
わかっていますって・・・(笑)
= 黙祷 =
身近であるほどに、 自ら 予防・対策を施すものである。
規模が大きくなるに従い、専門の知識・判断が必要とされる事などから、
多くの人が地方自治体などに その施設・装置の維持管理を委任している。
多くのインフラがそうであるよう 多くの利用者が利益を得る事が正解なのである。
一方、利用者が少ないインフラはますます錆びれ、存在じたいが危険を招く事がある。
明治維新において、東京は急激に増える人口に対する各種インフラ整備が行われた。
そして地方との「インフラ格差」は、知識や経験など有識者の東京集中を招いた。
当時の日本は急激な工業化による若者の離農・上京がますます地方産業の弱体・縮小を招いていた。
(当時として家業が継げない者は、奉公に出るか軍隊に入るか・海外移民かだろう)
そんな負のスパイラル状態は、ますます都市部での富裕層を肥え太らせるために
一部の思想家が政治家が、そしてふつうの市民たちが「攻撃的思想」になっていった。
行き着くところは、
「アラブの春」を歌うイスラム国家の混乱や「富裕層との格差社会」の中国か・・
内政の失敗は多くの場合、外への紛争となって・・・
脱線しないように(でも、そこが本音だったりするが) 基本に立ち返り
インフラとは、そこで生活している人たちの安全な暮らしを守るものである。
自分たちの安全を確保するには、必要な義務を自覚して出来ることを行う。
政治家に任せるている現状から、各種ネットワーク・口コミ・批判活動なりで
町内の自治会のようなものからPTAやデイサービスまで色々出来る事はある。
多くの国では、独占的にインフラ整備・管理を行う体制が出来上がっている。
一部の国では「大型公共事業は軍隊が行う」事で企業のリスク&リターンを避けている。
かように「インフラ整備」とは、国家をも揺るがしかねない 身近な事である。
だから、「近世・近代」の歴史や思想 税金の使われ方などに興味を持ってください。
いやぁ、愚痴ですから^▽^。
でもタラレバがあるから次に生かせるのです。
あ、いや、愚痴です^▽^。
鍵コメ様
まぁ、今ある状況が現実です。
その中でより良い生き方をしていきたいものです。
ですが、経験は決して無駄にはなりませんからね。
先人に恥じない生き方をしていかなければと思うこの頃でございます。
うっしゃん様
う~ん、突き詰めていけばそこなんでしょうね。
大化の改新、大宝律令もいいけどもっと近代史を学ばなければならないと思うんですよ。
歴史の勉強からその背景については現在から昔に遡って学んで行った方がいいような気もするんですよねぇ。