ニコライブルクの物語
侍従 talks Alexei about once upon a time in Nicholaiburg
当然そのころの街の風景も現在とは全く違う。
アレク:にょう、兄上。
兄上の名称を冠とするニコライブルクの昔のお話しをして欲しいのじゃ。

ニコ :皇太子よ。
朕もこの世に生まれてまだ3年とちょっとじゃ。
斯様なこと侍従に聞くがよい。

アレク:しょうか、爺に聞けばわかるかもしれぬにょう。

アレク:にょう、爺。
ニコライブルクの昔のお話しをしてくれ給う。

侍従 :一体どこから昔でございますか。
侍従の始祖がこのニコライブルクがかつて深い森林に覆われていた頃に入植して
から現在に至るまででございましょうや?
侍従の祖母より伝え聞いた話を侍従を含め先代6代前からの話しであれば話し
終えるまで1週間かかりますが。
アレク:い、いや侍従が子供の頃の話で良いにょじゃ。

と、言う訳で侍従がガキんちょの頃とその時のニコライブルクの写真初公開である。
侍従1歳のころ(まだ立って歩くまでにはここから更に7ヶ月の時間を要する)
後ろの石炭ストーブに思いっきり手をつけて大やけど。
だがこの時代、水にさらして冷やした後、オロナインH軟膏を塗って包帯を巻くだけである。
(お陰で農作業を子供のころからした経緯もあって手の皮は厚くなった(笑))

今から42年前に侍従が住んでいた祖母の家
冬、扉の向こうにはアカツカ、オニツカ(農耕馬)がいる
(その後、大侍従が歩いて5分のところに家を建て引っ越す)

これも42年前の正月
天皇陛下新年祝賀に合わせ万歳三唱をする侍従
(決して米軍に降伏して両手を上げている訳ではない)
本当にこのころは何もない 全て玉ねぎ畑

当時の農作業の一服休み
機械化なぞまだされていない時代である 親兄弟姉妹総出での手伝いとなる

そんな中、物心つく前から畑で育った侍従
右は母たる東の皇太后、左はその妹君様(叔母だね当時高校生))

42年前の大通公園噴水前。
当時高い建物は丸井今井デパートと札幌テレビ塔。
このころは無骨な高層建築がなぞ無い美しい街並みであった

冬期札幌オリンピックの時の雪まつりの1ショット
この頃に地下鉄が初開通したが、今では市中心部まで車ですぐの場所でも当時畑の真ん中の侍従の住んでいる地域には全くの恩恵がない
(当然である 同じ市内でも侍従の生まれ育った場所は百姓しか住んでいないんだもん)

侍従 :てな訳でございます、皇太子殿下。
アレク:何じゃ、ニコライブルクなぞ爺が子供の頃は全くの田舎町ではにゃいか。

侍従 :そうですとも。
なんか知らないうちにいろんな所からいろんな者達が一気に流れ込んでいつの間
にか賑やかな街になりましたわ。
まさか入植した始祖もこの街がこんなに大きくなるとは夢にも思わなかったに違いない。
偉大なる開拓移民である侍従の始祖に敬意を表してポチっとされたし

そうですね~誰にでもお子様時代ってありますよね~
親戚一堂があつまると必ずお子様時代の話をされるんですよね・・・
「あんた小さい時は・・・」って必ず同じ話を・・・
刑事事件に時効はあっても親戚の昔話には時効が全くないんですよね~。
写真があります。やっぱり撮影スポットなんですね
手の皮が厚くなったのね、私は面の皮が厚くなりました
実家も父叔母さんが でめんさんだった。。。
いっぷくにオヤツを届けるのが楽しみだった
ジーンときてしまう お写真ばかりです~(T▽T)
お・・・お・・・ 子どもの頃の侍従長さんカワイイ!!
・・・今は・・・(^^)?笑
ところで私も小学生の頃、上半身熱湯を浴び大やけど・・・
母はオロナイン軟膏をつけ、自転車に乗せ病院へ走りました。(笑)
でも私は後も残らず綺麗に治りました~^^
昭和のよき時代を思い出すお写真・・・
こんな家族の輪があれば、”高齢者所在不明”・・・
なんてことにはならないだろうに・・・
甘えてくる姿が可愛いですね。
白黒写真、懐かしいです。
私も赤ん坊のころの写真はすっぽんぽんで仁王立ちしてる
白黒の写真ばっかりです(なぜ裸で仁王立ち…)
昭和ですね~。しみじみ、懐かしい。
わたしも子供の頃お湯で足に火傷しました。今も痕が…あれ?無くなってる^^;
知り合いの子供が、そのお祖母さんのミスで火傷して病院へ行ったのですが、
1cm大にもならない手の甲の火傷の痕を、
「消えてよかった、消えなかったらどうしようかと思った」と、
すごく言うのを聞いて、もちろんそれはよくわかるのですが、
ふと「時代が違うんだな~」って思ったことがあります。
わたしが子供の頃は、貧富の差も地域の差もきっと今より大きかったのでしょうね。
ナオキと話すと、年の差以上に東京と岩手では違ったんだな~ということも多いですし。
今はみんなが、お嬢様、お坊ちゃまですね^^
変わってしまっても、元々の土地が残っているのはうらやましいです。
わたしは東京の下町で、育ったところは区画整理(?)されたので、
知っている場所はほんの少ししか残ってません。
でも、消防車の入れないような路地ばかりだったので、仕方ありませんね^^
ニコライくんとアレクセイくん、アレクセイくんと侍従長さん…
昔語りの優しい雰囲気が、お写真でも伝わってステキですね。
何となく「ペチカ燃えろよ、お話しましょ…」って歌を思い出しました。
…暑い(笑)
そして「ヤンチャ」そうなお顔じゃ・・・(爆)
わたくしも丁度同じような年頃に、果敢にも「やかん」に足をツッコミ、右足甲を大火傷しておりますv
大騒ぎで、病院に担ぎ込まれましたそうで・・・憶えておりませんが。
はい、今でも「勲章」として、残っておりますわよ(笑)
ま、本人は、どーってことありませんが、両親にとっては大ショックだったようで。
何か強請る時には右足を見せる・・・これ、子供の頃身に付けた『悪知恵』でございます(爆)
『札幌・冬季オピンピック』ですか・・・「日の丸飛行隊」(ジャンプ競技)が大活躍した年でしたわね。
そして、「♪虹と雪のバラード」(トワエモア)・・・懐かしい~~~っ!
はっ・・・バレました? えっ・・・既にバレてます? ほほほ~♪
このまま大きくなりました??なりましたよね?
白黒写真っていいですよね!私の子供時代も白黒でーす。
母の服装とかも時代を感じれるから、見てて楽しいですよね。
いや~それにしても、やっぱり昔も今も雪が多いっす!!
殺人に時効がないアメリカ。
子供の頃の恥ずかしい話することに時効の無い親戚のおじちゃんおばちゃん方。
まったく、年寄りが元気良すぎるっていうのも問題でございます。
(祖母、母の叔母達におしめ取り替えられてる写真を握られてちゃぁねぇ(T▽T))
まぁ、そういう時はにこにこしながら聞き流すに限りますわ(笑)。
shippo様
この当時なんて今のように整備された公園なんてありませんでしたからな。
必然的に大通公園ですよ。
後ろに見える丸井さんの最上階の遊技場でオバQの乗り物に乗るのが楽しみでございました。
確か1回10円。
今考えると物価安かったよねぇ。
東区の奥から大通りまでバス大人70円小人20円で行けた時代でしたなぁ。
ミミココ様
でめんさん。
そうそう、でめんさん。
一服休みに食べるカステラが楽しみでねぇ。
繁忙期にでめんさんを確保するのが大変だった伯父の姿を思い出しましたよ。
今は機械化が進んで人手がいらなくなったけど当時はみんなであぁでもないこぉでもないって話しながら仕事してましたなぁ。
今年も、百姓を継いだ従兄弟から出動要請がくるんだろうなぁ。
(選別、梱包作業だけは人手だからねぇ)
こんな写真一杯あります(当然皆白黒写真(笑))。
タウン様
かわいいでしょ?(笑)
でも今は似ても似つかぬク〇オヤジになってますよ(大笑)。
母君様、賢明な処置です。
あとが残らなくてよかったではありませんか。
男と女じゃ対応はやっぱり違いますよ。
当時はオロナイン軟膏くらいしかなかったしね。
高齢者不在ねぇ。
今の社会じゃ子供も自分が食う分だけで精いっぱいですもの。
子供に高度な教育を与えんとして頑張った挙句、子供は遠くに働きに出て結果的に齢を取った自分が捨てられる。
どっかで何かが狂いましたね、この国。
くりひなママ様
アレクセイ、我が家で一番の甘えん坊になりました。
(体がでかいだけにこれまたホントに...^^;)
私らのこの頃は白黒フィルムですもんねぇ。
今の子供は声も動作も動画で残りますから幸せですよね。
でも、そのまんまだからあとから見たときに思い出すっていう想像がなくなってちょっとさびしいかも。
あ、すっぽんぽんで仁王立ち。
今やったらエライことです(笑)。
yuki様
今の季節、燃えろよペチカは拷問に近いです(笑)。
私が子供の頃は馬に蹴られても火傷しても皆そんなに騒がなかったんですが、今は子供を間違った考え方で大事に育てますからいろいろと社会に歪ができてますね。
今は子供を育てるにも資本をかけないと将来が無いみたいなかんじなんでしょうかねぇ。
侍従はそれから見るとつくづく幸せな環境で子供時代を送ることができてよかったのかもしれません。
少しの畑も残してくれたし。
私ら夫婦には子供がいませんが、従兄弟姉妹がいるから始祖から今現在までの話を次世代にも伝えていくでしょう。
(内地の歴史から見たら全然浅いんですけどね^^;)
llamaおば様
「利発そうなお子」
邪心に満ちて私欲のことに対してだけ(笑)。
「ヤンチャそうなお顔」
自分の優位が確実に確定している時だけ(笑笑)。
皆さん結構やってますよね。
ご両親様、結構焦りますわな。
何と言っても女の子(当時)ですもの(笑)。
はい。
しっかり記憶に残っております。
ジャネット・リンちゃんも^^。
Tam様
月日というのは変わるものです。
街も人も(笑)。
侍従、平均寿命の約半分生きてきましたが、限りなく悪に近づきつつあります。
でなければ、軍事衝突ラインをそこに設定する訳がない(笑笑)。
白黒写真て当時の服の色とかどうだったけなぁとか、思い出そうとする力がつきます。
(ほんとか?)
あ、それでもね、昔から見たら雪は少なくなりましたよ。
ほんとこれでも。